Eric in Japan tour Summary

Ericさんが日本に来日したのは1974年から。昔の事はよく覚えてなくてなんですが、全部行ってる感想等を。

202X年来日23回目

絶対にある!、きっとある!、あるだろう、あるといいな・・・・
信じて待っとります(笑)

2019年来日22回目

この日本ツアーは2019年ヨーロッパツアーの前哨戦として、ロンドンアルバート・ホールの ちょう ど1ヶ月前に行われた19年を占う貴重なツアーでした。
武道館5公演のみという16年と同じ形態であり、武道館は92回めからの5回となります。
近年のSNSによって、本人やメンバーの到着からリハの様子等が発信され、4月13日の初演ではどんな曲を演奏するかとても楽しみだけど半分漏れていてなんだかなあ・・・。

武道館での音出しリハによってそのベールの一部がわかりファンは騒然としました。
初日は、ついに日本では10年ぶり(海外含めて6年ぶり)にエレクトリックのLAYLAがアコギセットの後に演奏され、武道館はすごい歓声に包まれました。
また直前4月10,11日に武道館公演をしたJphn Mayer氏がそのまま東京に居残っており、期待どおりアンコールのCOCAINEで登場してくれました。
この2点が初演のみだったこともあり、やはりこの武道館5回の今回はここに集約されたと思われます。
他の日はLAYLAはアコースティックへ戻りました。このツアーでは日本初披露となる80年台に見られたWANNA MAKE LOVE TO YOUが披露され新鮮でした。
74歳という年齢を感じさせないようなとても力のこもった公演でした.。

2016年来日21回目

この日本ツアーは2016年唯一のツアーとして、非常に貴重なものでした。
発表されたメンバーはなんとハウスバンドなイギリスメンバーによる久々の日本ツアーで非常に楽しみでした。結果的にはその後5月に発売になった新アルバム I Still Do からの曲が多く、また1993年以来になるCircus has left townを演奏してくれる非常に中身の濃いもので大満足でした。
 また久々のAndy Fairweather Lowさん起用によるGin Houseなど本場イギリスで見ているかの様な、99年のときの様な懐かしさも伴って楽しかったです。
名アルバムである1979年に武道館でライブ収録されたJust One Nightのツアー時にドラムを叩いていたHenryさんのドラム、かの伝説になった1995年ブルースツアーでベースを弾いたDaveさんらによるリズム隊は地味な中にエリックさんに遠慮ない独自の解釈を入れた演奏に唸っていました。
その後発売になる新アルバムの前に日本ツアーのライブがあるのもかつてはよくあったことですが、近年では非常に久しぶりであり、この曲は聞い た事 が無い、と戸惑いながら後々アルバムで聴き倒すという昔よくやっていたワクワクな戸惑い感を久しぶりに体験出来たのも非常に感謝でした。
初日新アルバムでよくわからない中で、更にエド・シーラン君がサプライズ登場で数曲やるというのも、彼の偉業をあとで知ることになって非常に驚き でした。
スタジアムツアーを瞬間的にソウルドアウトするエド君の姿を誰だ誰だとおっさん達は知らずに見たのもすごいサプライズでした。
その後新アルバムからのライブは一切無い事や、やはり定番曲に戻ったその前後を見ると、この16年の武道館は非常に特別であったと思います。
個人的にもメンバーさん達と沢山お話出来て忘れられないツアーでした。

2014年来日20回目

今回の日本ツアーはキャリア50周年、日本ツアーから40周年、日本ツアー20回目、日本公演200回目~、東京公演99回(終了時)と非常に切りの良いツアーでした。
最後かもと本人も回りも言われる中、13年までのメンバーとは違い、ネーザンによるベース、ガッドによるドラムを迎えてどんなツアーになるのか非常に楽し みでした。
結果的にはセットリストに工夫を加えることは難しく、1週間前から日本に入ってのリハーサルという日程も煮詰まり感の無いままでの スタートになったと思います。
7公演と今までよりかなり縮小されたツアーで、Paul Carrackさんの起用(13年~)は非常に良かったもののアンコールがポールさんの1曲で終わる等、疑問に思う方も多かったのも 事実でした。
13年の良さが際立っていただけに、正直落差も感じたツアーであったのは否めません。
この武道館での公演はDVD化されたので見返すのも楽しいですね。
個人的にはお友達のおかげさまによる良席鑑賞が何度も出来て非常に楽しかったツアーでもありました。

2011年来日19回目

2011年も大規模なワールドツアーの一環での日本になりました。年初のアジアから定番のUKの途中からツアーにSteve Winwoodが加わり、日本ツアーも初めてのSteveWinwoodとのツアーをなりました。Steveさん、いい人で連れて来ていた息子さんともいつもニコニコしていて非常に高感度高かったです。Winwoodさんの関わる歌を知らないと少し盛り上がれないという方も居ましたが、ECのツアー歴史上 必須なとてもいいツアーでした。
2011年のツアーはなんといってもWinwoodさんとの共演と言う事で当時の曲やWinwoodさんの曲でいいアクセントになっていました。
13回で札幌、金沢、広島、福岡等のファンにも顔を見せてくれたまさに日本ツアーでした。
曲としてはその後定番化していく、ライブでは初めてというWonderfulTonightのアコギバージョンというのが2公演目の横浜から見れました。
まさに回数を重ねるとこんなに完成して行くのだと言う事を、横浜から12回すべて見せてもらって実感できました。

2009年来日18回目

2006年の公演は大規模なツアーは年初の日本がメインでこの年はAllmanとやUSAのWinwoodとのツアーを開始など、アイデアの多い年では無かったでしょうか。JeffBeckさんとの共演は翌年のロンドンでも実現しています。
2009年のツアーは何と言っても途中の埼玉の公演が2公演JeffBeckさんとの共演でしょう。これに尽きると思います。
この2回はLaylaをアコギでやり、EC単独はエレキでやりましたので両方聞けて良かったよかった。
EC単体では、2006年の構成をほぼ引きずる形になっていましたが、Whydoeslove好きなあたしにはまた聞けるだけで幸せでした。

2006年来日17回目

この年の公演は長文お許しを!
2006年の公演は大規模なワールドツアーの第3ステージという位置付けでした(ヨーロッパ、 アメ リカに次 ぐ。この後07年にアジア、更にアメリカへ戻る予定)が、今までにない展開になりました。
2006年のツアーは当初イギリスでは最新アルバムであるBackHomeをひっさげてのツアーにデレク・トラックスらを加えた3本ギターで 昔の もやると いう形で始まりました。
それが日本ツアーを終わってみればDominosトリビュートと言ってもいいほどDominosソングに話題が集まる結果になりました。
Tell the truthが初演で出たのも驚いたし、Outside woman bluesもアコギセットで出てくるというのにも驚きました。
しかし初演では直前のアメリカの流れをくむPretendingで始まりI shot the sheriff、Sanfrancisco Bayもやるというまあ想定の範囲内のスタートでした。異変はすでに初日に。なんとアコギセットからのチェンジの12曲目 AfterMidnightで チェリーイサンバーストのGibsonレスポールで登場。そのまま次のLittleQueenofSpadesの途中まで使いました。しかしなにかやはり使いにくそうで曲の途中でいつものストラトに換えてしまいました。
そんなサプライズは3日目にアコギセットでECは一人だけで登場という形で。ここで一人スポットライトを浴びながらDriftin’を奏でました。更にこの日はDominosのAnyDayを復活させ、このツアー一番ではという公演になりました。更に大阪では4日目になんとGibsonの CS356というES335を一回り小さくしたようなタイプのモデルをやはりAfterMidnightで使用。しかしこれも最初から使いずらそうでなんと曲の途 中でストラトへ交換してしまいました。
この大阪4日ではTellthetruthの曲順位置を探す姿が印象的でした。順番を変えてしっくりいく位置を探していたかと。
この状況はそのまま次の名古屋にも持ち越され、なんとこのツアーでずっとトップだったPretendingの順番をも換える作業に。
そしてTellthetruthは晴れてオープニングソングとなりました。
この頃になると明らかに2日に一度はセットリストを代えてきていました。
翌週東京へ来ると、2曲目にはFiveLongYearsを持ってくるように。またBeforeyouaccusemeとAnyDayが代わったりと2日でセットを代えてくるパターンを定着させました。その週末札幌へ移動すると、ソロがWhen you’ve got
a good friendへ代わる(この曲はこの日だけ)上にFiveLongも落ちて曲数は最初の18曲から序々に減って16曲に。これは後の公演ずっと同じになりました。
29日には武道館でなんとDominosのLittleWingとWhydoesloveを練習しているとの興奮した情報がもたらされました。やるのか! 特にLittleWingはこのワールドツアーで出ていない曲、Whydoesでも数回だけというレア状態。興奮しました。しかしこの日29日は結局何もやら ないで終わりました。
次の驚きは30日にKeytothehighwayが2曲目にエレキバージョンになって登場しました。12月2日のさいたま公演も 非常にいい公演でこのまま練習したこれらの曲はもうやらないのかと半ば諦めムード漂いました。
しかし12月6日の4曲目についに来ました。ドラムのジョーダンとなにやら話しをするのがおかしいなと思いましたが、なんとおとなしいあのフレーズから始まったLittleWingに知っている人達はうおおおおとうなりをあげ、武道館は久々に揺れました。
この情報で追加となっていた8,9日は多くの人がLittleWingを聞きに再度足を運ぶことになったのでは。
そして8日には更に。アコギセットからの1曲目にまたジョーダンとなにやら話をし、まだ片付けも終わらないうちからWhyDoesのあのAmとGのフレーズがECから。これには一部の知っている人は飛び上がって大喜び。でもかなり知らなくキョトンとした人も。
なんと両方いっぺんに聞ける日が来ようとは!更に最終日は1~5曲目にDominos時代の歌を集中させなんとLittleWingと Whydoesloveが続いて出てくるという超サプライズに。なんと最終公演は8/16曲がDominos系という驚くべき結果に。
こんなに毎日のセットが変わるというのも記憶に無いし、ある意味日本のファンが聞きたいと言っていた曲に答えるかのごとくに怒涛の攻撃を繰り出してくれた ECには本当に驚くとともに感謝の気持ちで一杯なツアーでした。
またDominosソングを知る人と知らない人で大きく温度差のあったツアーであったのも正直な所。
昔を知る我々の熱狂に比べ、最近ファンになった人(Dominos聞いていない方々)にはどこがいいの?という反応もだいぶあった今回のツ アーでした。
しかし間違いなく、今回のツアーは最高なツアーとしてみんなの記憶に残るツアーになった(特に後半)と思います。
このHPでも何度も言っていますが、ECは一回でなく複数回見るといろいろな発見があります。今回は初回と最終で大きく違ったし、こういう セットの違いが 出てくるというのをぜひ頭において欲しいと思います。

2003年来日16回目

2003年の公演は目だった海外公演が無い年にあって唯一の大型ツアーという事で内容が事前 にわからず非常に興味深いツアーでした。
2003年のツアーは02年の夏のFerrariFestivalや03年の単発ショー等でよくやっている曲を中心に比較的初期の曲を多 く持ってくるという構成で、クラプトン 側もかなり考えた配曲にしたのではと思いました。
最近では初演と最終日には通常より曲数が多い、というのが通例になっていますが、今回の広島はその後の通常パターンより5曲も多いという 驚くべき初演でし た。この日しかやらなかった曲(Myfather’seyes)もあったりと、初演に立ち会えたのは非常にラッキーでした。03年はツアーをやらなかった ことからも持ちネタを全部試そうという事だったのではないでしょうか。ツアー途中からアンデイさんにボーカルを任せたBright lights, big cityをやってましたが、この曲がセットリストに加わってから次のKind hearted womanが非常にいい演奏が多かったように思いました。02年のFerrariFestivalや03年3月のRAH等の数少ない公演でも クラプトンがボーカルを取らずにバックに徹するという曲が多く、こうした公演でのリラックスした演奏が印象的でした。
常に全曲自身がリードしないといけない公演では疲れるでしょし、ボーカルで声も持たないのは当然です。
今回のツアーで最初にこの曲が紹介される時、クラプトンが歳だし疲れたよ、みたいな説明をしましたが、数曲をボーカルを任せるというパ ターン の方がいいのでは、と強く思いました。
03年もどの公演もレベルが高く、あっちゃーというのが皆無な素晴らしいツアーでした。
逆に01年同様に2時間かっきり(初演は2時間20分近くあった)で終わる演奏はノリが良くて長くなった、というパターンはもう無いということで、これがクラプトンの現在のパターンなのでしょう。
新アルバムからの披露は無かったですが、70年代、80年代を思い返せたとてもいいツアーだったと思います。また03年になって Robart Jhonsonのトリビュートアルバムが春に出ることがわかりましたが、このアルバムに収められている曲がこの公演でやった曲だったということから、そう いう意味ではアルバムからの曲を世界一早くやってくれたと思ってもよろしいでしょう。

2001年来日15回目

2001年の公演はおお外れの無いレベルの高い公演ばかりでした。 
逆に言うと、驚きも少なかったツアーであったとも思います。 
今年のRAHから始まる1年間のツアーはだんだReptileからの曲が減ってきたのが特徴的でしたが、 そのまま特に新しいことは無く最後まで淡々とやっていたのが印象的だった。
2001年のツアーで唯一日本ではLaylaのアコギバージョンとエレキバージョン両方をやってくれたのが唯一の違いだったでしょ う。 
それとこの1年ずーっとやってきたMFEがセットから落ちるというのも日本だけでした。 
11月21日にはWonderfultonightだけでなく、このツアーで最大の見所の一つであったOvertherainbowをやらなかったのは何 があったのか気になるところです。 
しかし数曲演奏すると大きくため息をついたり、比較的早めにソロを切り上げることも多く、例年のような大爆発した最高のという日は残念 ながらなかったのではという印象であったと思います。 
ジョージハリソンの死を武道館で迎えた日も淡々と演奏していたのが印象的でした。 
逆にTV収録の日とレコーデイング日にBagdeでForGeorgeと言っていたが、これが商業的な所だけで言っていたとするなら違う んじゃないかと思わざるを得ないのも正直な所です。 
きっかり2時間で収めるのも今回やや作為的に思えたが、ツアー後半には公演の最後の方には声が出なく辛そうという場面が多く、やはり連続 した長期のツアーはそろそろ限界では? 調子の良し悪しで時間が長くなるのも避けるようにしているのでは、と思わせるTourだったと思います。 

1999年来日14回目

99年の公演は本当に良い公演ばかりでした。 
はずしちゃった公演なんてほとんど無いし、非常にアグレッシブなClaptonを見れて大 感激 でした。 
久々のエレキバージョンのLaylaやアコギセットでは世界でも例の無いだろうBell Bottom Blues等見所多く良かったです。 個人的にも初めて福岡、大阪公演にも行けてその地の方ともお会い出来て思い出多いツアーになりました。 
観客も客層が若くなった印象を持ちました。それと複数回行きたいと言って行動した人の多さにも驚きました。 確実にファンが増えている感じを持ちました。

1999年の公演は6月のNYのMSGのショーとほぼ同じセットリストで始まり、最後の3公演にはアコギセットの BeforeYouAccuseMeや最後2公演では75年以来のStormy Monday等もやってくれるというClaptonにしては近年では珍しいセットになりました。 
CrossroadsCentreの活動等人間的にも充実しているのか、非常に安定して且つパワフルな演奏に引き付けられた。 
2000年以降もますます活躍するという確かな予感を残してくれた記念すべきツアーであったと思います。

1997年来日13回目

細かなのは別に書く事として、今回は良くも悪くも幕の内弁 当でした。新曲が良かったのと、Joe SampleのOld Loveは実に味わい深いものでした。しかしあの招待席の多さと乗りの悪さはこんなの初めてでした。 
今までの中で一番良かったか?と多くの方に聞かれます が、それには正直 Yesとは言えません。いつもの様にテーマがもっと明確に欲しかったんですが。

でも個人的にはインターネットのおかげでお友達がたくさん出来てとっても楽しかったです。 Joe Sampleに会えた事、ECとニアミスした事なんて一生の思い出です。

1997年の公演では延期に次ぐ延期で公演時にも間に合わなかった新アルバム ピルグリムからの新曲を含めヒット曲が多く演奏されていました。。 
ジョーサンプルやスティーブガットというジャズの大物をうまく取り込んで見せ場を作っていたが、目がどこかに行ってしまっている様な感じを持 ちざるを得な かったです。あれは何か体調にあったのでは? 
公演も良い日も悪い日もあり、あまり表情も豊かに思えなかったのは私だけで無かったです。 
あの時実は…という話が無ければ良いのだが、とそんな心配すらしてしまう公演でした。
このツアーのぶ同感はDirecTVが放送を行いました。リハで外からWhiteRoomが聞こえて、このTV収録日のみ聞けたのは嬉しかったです。

1995年来日12回目

言わずと知れたブルースオンリーナイト。現在家でのギター はエレキ(ストラト)から完全にアコギに変更。影響された年でした。初めて聞く曲が多かったですが、その後20年以上なにかとこの時の曲を聞くようになりました。自分的にはEveryday I have the bluesのテンポが好きです。
そ~そ~彼氏に連れられてLaylaとTears In Heavenしか知らないおねえさん達は目が点だったでしょうね。周りにそういう人たくさんいましたね。

1995年はブルースばかりを奏でるナッシング・バット・ザ・ブルース・ツアーというものでした。フロム・ザ・クレイドルというブ ルース アルバム をひっさげての公演でしたが、これは90年はじめにClaptonはすでに企画していたものだそうです。しかしレコード会社との話等もありやっと日の目を見る事になり、これも大きな不幸を前向きに克服した事への神様からのご褒美なのではないだろうかと言われたものです。 
よくブルースへ回帰したという話も聞いたが、決してそういう事では無く、新しい事への挑戦の一つとして、たまたまこの時期になったという 事と解釈したいです。

1993年来日11回目

&His Bandとしていつものかつその後の活動を共にしているメンバーでの公演。前半のその後現在に続くブルースセッション(95年の公演 と同じのが結構あった よね)と後半のヒット曲集のバランスが良かったです。個人的にはこういう構成のコンサートがいいなあ。でも一番の収穫はやっぱり Circus Has Left Townでした。
この時はUnpluggedでTears In Heavenの影響からファンが大幅に増えました。
1993年の公演はグラミー賞を総なめにし、コナーの事を歌ったと絶賛されたTearsinheavenとアルバムUnpluggedをひっさげての公演でした。 
この年の公演は明らかにアンプラグを聞いて、Tearsinheavenを聞いてコンサートに来ましたという人が多く、一段とすそ野を広げた公 演でした。 
しかしこの時Claptonが一番やりたかったのは、故コナーを歌ったCircus left towan(現在はアルバムピルグリムでサー カ ス)だと信じています。 
Claptonはインタビューで“この時期この歌を歌う事が必要だった”と述べているが、そういう想いで観ていたせいか、Clapton がこの曲を歌う の目が一段と遠くを見ている様な気がして切なくてならなかった。 
自分がこの歌にTearsinheavenの何倍もの拍手を送ったのは言うまでもありません。 
Ain’tNobodyBuisinessで見せたピアノだけで歌うClaptonにもう迷いは無いという決意を確かに感じることが出来ました。

1991年来日10回目

東京ドームであのジョージハリソンとジョイント公演で し た。バンド がクラプトンバンドっていうのもあるけど、4曲だけやった自分の曲の演奏とジョージの時の質の違いに苦笑しましたね。

1991年は非常にショックな年であった。 
この年の3月20日に息子コナー(4歳)が落下事故で亡くなってしまったのはあまりにショックなニュースであった。 
前年の日本公演の充実度やロイアルアルバートホールでの26日連続公演等の話題でそれまでの絶頂期を迎えていたと信じていた自分の頭をよ ぎっ たのは、また しても迷走の時代へと戻ってしまうのかという不安であった。 
前年の友人スティーヴィー・レイ・ボーンの死もあり、もはや再起は無いのではとさえ思った。 
しかしそんな心配は無用の長物であった事をジョージハリスンをバックアップ支援する形の公演で見せてくれたのである。 
Claptonの単独シーンは4曲と少なかったが、オールド・ラブ、ワンダフル・トゥナイトという二人にとって非常にデリケートな問題で ある パテイを連想 させる曲をやるところが心憎かった。事前のインタビューではレイラも演奏するかも、と言っていた様で期待したが、さすがにこれは演奏されな かった。 
二人のシャレもここらが線の引き所なのかと思うと楽しい詮索でもある。

1990年来日9回目

ジャーニーマンコンサートと銘打った公演でしたね。個 人的 にはバン ド全体の質の高さ等、いままでで一番いい公演(個々にはいいのはあると思うけど、公演全体を通して)だったと思う。この時のワールド ツアーはこの日本が最後だったのもあるかもしれません。
そ~そ~開演の前のオーケストラのLaylaの後半部 分。あれいいですよ ね。できればオーケストラナイトを日本でもやって欲しかったな。海賊版CDで見つけたので良く聞いています。

この頃からWonderful Tonightのアレンジが固まってきてケティキスーンおねえさんのコーラスが特に後半のC9とD9のコードの中でのギターと声のは もりはカッコ良かった でしたね。特に近年は日本のコンサートにはかかせないラブソングになりましたね。

1990年は前年のジャーニーマンのアルバム発売、ロイアルアルバートホールでの連続公演等の話題を持ってワールドツアー最終公演とし て行 われた。
素人目にもその充実ぶりは明らかであり、ソロで前に出てきた目の前のClaptonに思わず見惚れてしまうほどであり、後光がはっきりと 見え たものであ る。
この頃はもうアルコールも克服したのか、声にも張りがあり、演奏も最高であった非常に印象深い公演であった。

1988年来日8回目

この時はエルトンジョンを引き連れて豪勢でしたね。あ た しゃこうい う公演好きですよ。海外みたいに飛び入りっていうのがほとんどないから連れて来てくれなきゃね。でも東京ドームは嫌いです。ただこの 時のNHKの衛星放送 のライブは良かったですね。秘蔵版ですよ。でもあのVTRはAfter Midnightのスローバージョンをやったのに省かれちゃったんですよね。あたしゃあのテンポ好きだな。

1988年は前年に続く公演となり、しかもエルトンジョン、マークノップラーという大物ゲストを従えた記念すべき25周年ツアーとなっ た。 
東京ドームという大型会場を使用し、NHKの衛星放送の収録付きというイベント的なコンサートであった。 
演奏は非常に充実したものであり、アルコール治療プログラムも順調なのか、仲の良い友人との競演でリラックスしているのか、表情も穏やか で精 神的には充実 してきたのではないかと思われた。 

1987年来日7回目

この時はまだ前座っていうのがあってRobert Crayがやりました。そう言えば最近日本では前座はありませんね。中身はあんまり印象に残ってないんですけど、Wonderful Tonightが表情豊かになったのはこれ以降だと思うんですけど。Lay Down Sallyを照明といっしょにフェイドアウトするのが良かったです。
1987年の公演は前年のAugustを受けた公演であったが、WhiteRoomに更にCreamの代表曲のひとつであるSunshine of your loveも加わり、この時期の構成で概ね現在の構成に繋がる道筋ができてきた頃だ思います。新アルバムの曲を中心にそれまでのヒット曲を織り交ぜるという 構成の中で、 定番となる曲はこのあたりでほぼ出揃う事となってほぼ現在もそんな感じかと。 
後で知るところでは、この時期にパテイとの生活も事実上ピリオドが打たれており、またアルコールの依存症による中毒から入院生活を送っていたと言われていますね。

1985年来日6回目

オリンピックプールでの公演はアリーナ以外、要は観客席で聞くと反射音でめちゃくちゃです。あそこは絶対アリーナですよ。ただ長手方向すごく長いから後ろの方もだめ。豆粒になります。これと同じ公演形態はビデオのライ ブで見れます。

ビハインド・ザ・サンをひっさげて来日した1985年の公演は、Let It Rainで照明を観客席へ大きく振る演出があり、それまで比較的単調且つシンプルだったClaptonのコンサートの中では驚きが大きかったです。 
この公演でいきなり無防備な自分を襲ったあの印象的なWhite Roomのイ ントロに嬉しさを通り越し、驚きを覚えたものでした。 
このCreamの代表曲を復活したのはClaptonに心境の変化があったのでしょうか。 
すなわち過去を過去として認めて正面から向かい合い、それをかみ砕いて更 に自分に取り込むという作業が出来た事を意味すると解釈できました。 
ちょうどこの時期のClaptonと言えば、モンサレッ ト島 でビハイン ド・ザ・サンのレコーデイング中にスタジオ・マネージャーのイヴオンヌと深い仲になり彼女はその翌年長女ケリーを出産している。 
一方この頃コナーの母親ロリー・デル・サントとも出会っ てお り、彼女は翌 年の8月にコナーを出産している。 
この様な事もあり妻であるパテイとは亀裂が入った頃でもあるそうな。 
麻薬、アルコールとどん底まで経験したClaptonが この 80年代半ばから後半にかけてはアルコールの依存症やこうした女性関係と葛藤するわけですが、少なくとも観客としては新しい事に挑戦し続ける Claptonの姿だけが印象に残っています。 
もっとも本人は新しい事に挑戦というよりも、もがいてい たの だろうが。

1981年来日5回目

この頃は追加公演は新宿厚生年金ホールなんかでのんびりしていました。 Another Ticketが印象深いです。ありゃいい曲ですよね、以後やりませんけど。
Laylaはこの頃はまだ後半のピアノ部分がなくてタリラリラリラ ~ンの繰り返しによる長~いアドリブだけでしたよね。やっぱり後半部分あった方がいいですよね。 
プロコルハルムの”青い影”というオルガンのイントロのきれいな曲がありますね。あの歌ってた人(Gary Brooker)をキーボードに連れてきていて武道館でやりました。非常に良かったです。本人の曲はShe’s Waitingなんか良かったです。 
新宿年金大ホールという今のClaptonを考えると収容人数の少ない会場での公演で、天井から風船が落ちてくる、という粋な演出は後にも先にも覚えがないです。こうした小さなホールでの公演は非常に貴重であした。 
今考えればアルコールのせいなのかギターソロ等にやや雑な時があったが、迷走は続いていた様ですが。

1979年来日4回目

公演前から武道館でライブ収録があると言うことでこっ ちもうれしかったです。Laylaも収録用に短いバージョンだったのに結局レコードにはなりませんでしたね。(なんか乗りの悪いLayla だったからレコードにならなくて良かったけど)
わたくしごとですが、現Wifeを誘ったら断られた因 縁の公演でした。
1979年の公演は前年に発売されたバックレスの後であったが、日 本ツアーでのライブ収録がアナウンスされていたせいもあり、見る方も演奏する方も必要以上に緊張感が漂っていた様に思う。 
この時期のClaptonはアルコールの量が非常に増え てい た時期であ り、ブランデーを一日2本も飲んでいたそうです。 
コンサート中も現在より明らかに水分の補給をしていたがあれがお酒だった のかどうかは私にはわかりませんが。。。
前後のツアーを含めてそうした影響か、日によって演奏の善し悪しが素人目にもわかる様な公演が幾度もあり、観ていてとてもClaptonの状態を心配したものです。 
本人はパテイとの仲も絶頂で生活面では良かったはずですが、そうした充足が彼を逆方向に向かわせる、というのが彼のお決まりのパターンになっていたのでしょうか??。

1977年来日3回目

最近出たCrossroads2で聞けるThe Coreのオープニングが好きでした。マーシーレブィの声も良かった。たしか(ちょっとこの年か記憶がさだかでないけど)前座にプ リズムというめちゃうまい日本のバンドが出てました。あたしゃLove Meという曲当時学生バンドで弾いてたしいまだに聞きます。
このThe Coreは2018年のハイドパーク公演でマーシーをゲストに迎えて聞けましたが非常に嬉しかったです。

1975年来日2回目

ステージ前に押し寄せるのは日本ではその後札幌?だかで事故があって固く禁止されました。
武道館でも次の77年?だか79年には司会が出てきてマナー悪いとやめちゃうぞとざわざわステージで説明していました。
1975年に行われた2回目の公演は、前年とはだいぶ様子が違うと感じた。 のっけのLaylaにまいって、ひたすら長いTell The Truthに結構まいった(飽きました)。
No reason to cryというアルバムをひっさげ ての 来日であった が、今回はよく言えばアグレッシブなのだが、悪く言うとやけくそ、と言っては語弊あるが、獰猛な魚バラクーダのごとく、攻撃的な演奏 に感じた。 
当時はまだCreamを引きずっていた自分は狂喜したものだが、今考えると何も考えないで好きな様にやっていたという気がしなくもないです。 
70年代をなるべく努力しないで楽に過ごしたと言うClatonだが?、この時期は前年の反動がでたのではと思う。言い換えると、前年感じた謙虚な気持ちが少し薄れていたのではないだろうか、と当時のメモに書いてありました(笑)。

1974年来日1回目

クラプトンが生で見れるというだけで良かった。まさか Let It Growがそれから聞けないとはその時は思わなかったです。
もっと大事に聞けば良かったと大後悔です。なにせCreamを引きずっていたので全く聞いておらず、聞き返してから好きになった一番残念な曲であります。
461Ocean Boulevardのリリース直後であっ た初来日公演が、まさかアコーステイックギターで始まろうとは思いもよらず、子供心にも肩透かしを受けた気持ちでただただ次はどんなCream曲をやるのかと待てど何も無し。 
自分的にはCream一辺倒でほとんどの曲を知らず、しかもコンサート、武道館などという都会に子供が一人で初めて行くのはそれが精一杯で。
2階の端でぼーっとしてただけで行くのが大変だった以外なんの記憶も無いという・・・・。
1972年のローリング・ストーンズ公演キャンセルでせっかく買ったチケットもったいなかった、と2年後にクラプトン来日で行ってみたもののこう不勉強じゃいけないと痛感した苦いなんだかなあなデビューでした